マンスリー・レポート No.82 (2007年10月)
活動会員のレポート
  ビクトリアの滝と銅の国、ザンビアで技術指導の2年間
  JICA海外シニアボランティア ザンビア電気設備   はた 公一こういち (元 オムロン)

写真(1) ビクトリアの滝
 JICAシニア海外ボランティアとしてザンビアに派遣されて間もなく2年になろうとしている。ザンビアは南部アフリカの内陸国である。現在は政情も安定しており、世界三大瀑布の一つ、ビクトリアの滝(幅1,700m、落差120m)写真(1)以外には観光資源も乏しいということで日本のマスコミに載ることはほとんどない。また地下資源も銅を除いては何もない。だから日本との経済交流も少なく、総合商社の事務所もない。ということで日本では知名度が低いが、JICAが入ってからはすでに37年になる。

 ザンビアは、1964年独立するまでは北ローデシアと呼ばれていた。この名はイギリス国王から開発利権を買った実業家、ジョン・セシル・ローズの名に由来するものである。ちなみに南ローデシアは1980年独立してジンバブエとなる。

 私が住むザンビアの首都ルサカは、南緯15度25分付近で南回帰線よりはるかに赤道に近い所である。これから想像すると相当暑いように思われるが、実はそうではない。標高が1,200mと高くしかも湿度が低いため、いわば高原性気候で意外に過ごしやすい。日射しがきついので直射日光を浴びると相当暑いが、日陰や屋内は涼しい。だから我が家にはエアコンはおろか扇風機もない。防犯上窓を閉め切って寝るのだが、暑くて寝苦しく感じるのは真夏(10月下旬頃)の2週間程度である。

写真(2) 主食のシマ(左)、トウモロコシの粉(ミルミル)をお湯で練り団子状にしたもの
 ザンビアの主食は“シマ”といってトウモロコシの粉(ミルミル)をお湯で練り団子状にしたものである。ザンビア人はこれが大好きでシマを食べないと食事をした気分になれないと言う。しかしシマの歴史はそれほど古くはなく、以前はキャッサバ(タピオカ)などを主食にしていたようだ。代表的メニューは“シマ&チキン”で、日本流に言えばチキン定食。写真(2)左の白いのがシマ、右がチキンを煮たものに野菜が添えてある。このチキンがビーフになったり、フィッシュになったりするが、どこへ行ってもほぼ同じメニューが出てくる。この写真は赴任先の学校の食堂で撮ったもので約180円。それでも現地の低賃金労働者にとっては払えず、ほとんどの人が昼食抜きである。

写真(3) 台所でシマを作っているところ
写真(4) 公共交通機関はミニバス
写真(5) レクチャラーへの指導
 写真(3)は郊外の平均的な台所。都心を除くとまだ電気の無い家が多く、庭に石を並べただけのコンロでシマを作っている。燃料は薪または炭を使うが炭代と灯り用のろうそく代を合わせると電気代より高くつくそうだ。

 市内と近郊の公共交通機関は、写真(4)のようなミニバスである。定員10数人のマイクロバスで、そのほとんどが日本から輸入した中古車である。ミニバスの台数は多く、主要路線では列をなして走っている。しかし路線は許可制で限られていて、市の中心部から放射状に走っているので乗り換えを必要とする場合が多く、割りと高くつく。乗用車も90%が日本の中古車だ。もとイギリスの植民地であったため、車は左側通行なので日本車は好都合なのだ。

 最後に私の仕事を紹介する。配属先は科学技術職業訓練省傘下にある職業訓練校で、内容は日本のポリテクセンターまたは専門学校に似ている。高校卒業者を対象とし就学期間2年である。その電気設備科でプログラマブル・ロジック・コントローラ(PLC)の技術指導をしている。PLC技術はもともとのシラバスに含まれているのだが機材なし、教える知識なしで放置されていた。そのため現在レクチャラーに対する個人指導と、学生に教えるための教材作りに追われている。

 しかしレクチャラーは約束の時間には遅れて来るは、連絡も無く平気で欠席するは、でなかなか思うように進まない。これがザンビア流かと半ば諦めながら、2年間の任期中に何らかの足跡を残せたらと思っている。写真(5)は自分のオフィスに二人のレクチャラーを呼んで特訓をしているところである。

(2007年9月筆)

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