活動会員のレポート

インドネシアからの鋳物製品輸入

はやし 喜久雄 きくお (元ニチメン)

 2011年2月、ABIC大阪事務所で50年ぶりの面接試験を受けることになった。思えば採用する側として何百人の面接に立ち会ったことか、大西コーディネーターとそんな雑談をしているうちに、定刻の14時30分となり、部屋の隅にいた白皙の青年との面接に臨んだ。SZ社のS副社長である。
 S副社長は15年ほど前の鋳物生産拠点の中国移転、その中国での人手不足と賃金の高騰、対策としてインドネシアでの第2の生産拠点の立ち上げ、その提携先探しの必要性を述べられた。
 私からはジャカルタ駐在員時代に織機製造工場の合弁を、国営の鋳物工場を相手に企画したことを説明、面接やら懇談会やら判然としないが活発な意見交換ができた。
 翌日には採用が決まり、3月SZ本社訪問、業務委託契約締結、提携先候補の調査、5-6月にかけS副社長とインドネシア出張、中部ジャワ・クラテンの中堅鋳物会社BK社を訪問、社長と面談し、会社の規模、生産能力、機械設備等を調査と事態は目まぐるしく急展開することになった。くしくもSZ・BK両社とも3代目の時代を迎え、会社は若々しい。
 SZ社との業務委託契約締結から1年6ヵ月、第1ステージのJoint Operationまではまずまず成功裏に終始し、今や第2ステージ、整備した設備のフル稼働体制の確立と検査会社の設立に向けての準備期間へと移行しつつある。

以下第1ステージにおける主なポイントを時系列的に列挙してみることにしよう。

  • SZ社から社長、副社長がそれぞれ2-5回、BK社のクラテン工場とジャカルタ工場を訪問。
  • 2011年11月、BK社からは社長、ジャカルタ工場長(取締役)、製造部長が来日SZ社訪問、Joint Operationに関する基本契約締結。
  • 本基本契約に基づき、12月15日、JODCベースによる専門家派遣(8ヵ月、2012年7月末まで)
  • さらに2012年2月、BK社に無償でリースする中古の製造ライン一式を名古屋港より船積み、これに対応してBK社もジャカルタ工場に塗装ライン、クラテン工場に小型金型内製用のNC旋盤導入と、SZ・BK両社が量的・質的競争力アップに必要な設備投資を意欲的に推進し、5月末に据え付け完了となる。
  • 2012年5月、紆余曲折を経て、当面買い付け予定のマンホール、ルーフドレイン等32アイテムの価格交渉決着、これに基づく第1ロット、約1万ドル相当は既に発注済み。

 8月末に名古屋港到着。またこれに並行して;

  • 対外的に通用する英文発注確認書のフォーマットの整備(中国の100%子会社との間では特に必要なかった)。
  • BK社の過去3年間の決算書および監査法人による監査報告書を取り寄せて和訳。途上国のこの規模の会社にしては、しっかりした内容で企業としての志も高い。

 以上1年半のビジネスを通じて振り返ってみると「インドネシアも変わったなあ」というのが実感だ。思えば1963年の最初のジャカルタ赴任から前後5回、累計17年間のインドネシア駐在を終えて、1989年3月ジャカルタ支店長の職を最後に帰国して約23年間、この間、大統領もハビビ、ワヒド、メガワティ、ユドヨノと4人交代している。
 これに先立つ約30年間にわたるスハルト長期政権をどう見るか。「独立の父」といわれる初代スカルノ大統領に対して、「開発の父」という評価はほぼ固まっているといえようが、他に「強権的」「経済最優先」「ファミリービジネス」「アセアンの盟主」「GDPの20倍増」等々功罪入り乱れた見方がある。ただ世界最大のイスラム人口を抱える当時のインドネシアの在り方こそ、イスラム教国の模範であり、理想の姿だという欧米、特に米国での高い評価を得て、国際的な地位は大いに高まった。一方、敬虔なイスラム教徒にとっては、つらく、ある意味では屈辱的な30年間ではなかったか。
 スハルトの退陣とともに強権的な支配体制が緩み、ハビビ、ワヒドと親イスラム色の強い政権が誕生すると、鬱積していたイスラム教徒の不満が、バリ島爆破事件(2002年)、ジャカルタのホテル爆破事件(2003年)、豪州大使館爆破事件(2004年)と一気にジュマ・イスラミア等過激派によるテロ活動へと連なっていくのだ。
 さらに争議権解禁によるストの頻発と相まって、多くの日系企業の撤退が続出、5代目メガワティの時代には、インドネシアからの離脱を志向する「自由アチェ運動」との和平交渉も決裂して、非常事態宣言が発せられるという最悪の事態を迎える。
 2004年10月、初の直接選挙による6代目ユドヨノ大統領誕生。一見頼りなそうに見え、世論にたたかれながらも、ある種のツキもあり、見事な手腕で政治、経済、社会を軌道に乗せてゆく。ユドヨノ大統領が2期8年の任期を成功裏に全うすることは間違いないし、中興の祖といわれる時代が来るような予感がする。
 ある種のツキとは、敬虔なイスラム教徒と過激なイスラム教徒の離反である。敬虔なイスラム教徒の目にも、上記の一連のテロ事件は、神の教えにも反する許しがたい暴挙と映ったのであろう。彼らの通報により、過激なイスラム教徒のアジトが次々と警察軍によって殲滅されていったのだ。
 欧米・日中をはじめ世界経済の成長にも陰りが見える中で、幾多の難問を克服しながら、政治、経済、社会いずれの分野でもアジアで、いや世界で最も安定した成長を続けているインドネシアに心からなる声援と拍手を送りたい。
またこの環境の下で、SZ社の第2の生産拠点として、BK社との協業が一層円滑に進むよう微力ながら引き続き尽力しようと考えている。