活動会員のレポート

日本語教師としてベトナムへ

鈴木 すずき 惟高 これたか (元 伊藤忠商事)


日本語教室の生徒たちと 
筆者(前列右から二人目)

  私はABICが実施している日本語教師養成講座の第一期生で、昨年末惜しくも御逝去された吉田裕先生に教わりました。先生はこれまで日本語を教えた実績が無い私がベトナムに赴任するのを大変ご心配して下さり、特別に個人指導をして下さいました。心から感謝しております。また先生の御指導の下、ABICが東京国際交流館で実施している外国人留学生向け日本語授業を見学させて頂き、御担当の先生方からも種々実践的な御指導を受けることができました。

 私はABICのご紹介で昨年12月より本年3月末まで日本語教師としてベトナムに赴任しました。ベトナムの中部都市ホイアン(世界遺産)近郊にあるカンナム省立北カンナム職業訓練専門学校で「日越溶接技術交流センター」(以下JVWC)が溶接技術を指導する職業訓練コースで日本語を教えるためです。

 生徒は工業専門高校を卒業した12人の男子でした。まさに24の瞳です。JVWCのコースは今年で三年目ですが(初めの2年間は女子生徒がいたのですが第三期生は男子のみ)、6カ月間で日本語検定試験4級程度の学力をつけること、特にベトナム人はシャイな人が多いので会話重視で積極的に日本語を話せるようにして欲しいとの要請を受けました。 教材としては当初は標準的な「みんなの日本語」を使うつもりでしたが、結局ABICの養成講座のときに使った「新日本語教科書初級」(36課)をメーンとすることにしました。

 私にとってラッキーだったことは日本語検定試験4級の資格をもつベトナム人美人女性がアシスタントとしてついてくれたことです。なんでも相談して授業をすすめることができました。適宜生徒達と話をし、不満な点を聞き出してもらい授業を改善してゆくことが可能でした。

 初め心配だったのは果たして生徒達が真面目に授業を受けてくれるのか、また1日3時間の授業を飽きさせずに続けていけるのかということでした。でもそれは杞憂に過ぎませんでした。生徒達は日本に行って溶接の仕事をしたいという明確な目的意識を持っていましたので一生懸命勉強してくれました。
 新しい課に入るときは、初めにアシスタントにポイントを指示し、丁寧に生徒に教えさせました。テキストは例文、練習問題、会話からなっていましたが、全て暗記させ、テキストを見ずに黒板に書けるようにさせました。生徒達は積極的に手を挙げ課題に挑戦してくれるので楽でした。クラスには特に優秀な生徒が数人おり、どんどん先の課の予習をしていくので、それが他の生徒達を刺激していくといううれしいムードがありました。
 歌が効果的だと教わったので毎日練習させました。「幸せなら手をたたこう」「上を向いて歩こう」「星影のワルツ」を歌えるようになりました。べトナム人がシャイだというのはどうも本当ではない気がします。私は発音は相当厳しく矯正しましたが、生徒達は悔しそうな顔をしながら何度も挑戦し遂に私がOKといって大袈裟にほめるととてもうれしそうに笑うので本当に可愛いと思いました。

 1週間が過ぎた頃、校長先生から教職員にも日本語を教えて欲しいと頼まれ、毎日1時間26人の教職員に教えました。挨拶と「あいうえお」に重点を置きました。校長にも遠慮せず発音を矯正しましたが、校長が率先して恥をかこうとする態度に感銘を受けました。残念ながら先生方が仕事が忙しくなり2週間で終了せざるを得なくなりましたが、御蔭で私はすべての先生方に毎日丁寧な挨拶を受けることになりました。ただ先生方も英語が殆ど話せないのにはびっくりしました。

 現在、日本とベトナムは大変良好な関係にありますが、世界的な経済不況の中で、日本の溶接(鉄骨加工)業界はとても厳しい状況にあります。でもこの愛すべき生徒達が日本に来るときはできるだけの手助けをしたいと思っております。 なお本コースは本年5月末まででしたが諸般の事情により、私は3月末で帰国させて頂きました。