活動会員のレポート

カンボジアの識字学校を訪ねて

田中 たなか つよし(元 伊藤忠商事)


村の住民(先生)と一緒に

教科書、地図、文房具を先生に
渡している筆者

住民たちが自分たちで学校を
建設中木材は近くの森で取ったもの

 ABICの紹介で、紛争予防活動を行うNPO法人のカンボジア事務所代表として、2001年より8年半プノンペンに駐在し、民間に残っている不法所持武器の回収廃棄、農村での灌漑用小規模ダムと橋の建設、僻地での小学校の建設、水不足地域でのポンプ井戸の掘削、小学校での水洗トイレの建設、少数民族に対する識字教育などの事業を行った。
 中でも識字教育事業は、社会的弱者の立場におかれている少数民族が、多数を占めるクメール人と共存しながら、満足した生活を送るためには、彼らの教育水準を引き上げることが必須条件であるとの認識の下に、私たちが特に力を入れて推進した事業であった。
 首都プノンペンからバスで約12時間、ラオス国境近くに位置するラタナキリ州には、独自の言語、生活様式を持つ少数民族の人たちが居住している。多くは伝統的な焼き畑農業で生計をたてているが、近年急速に経済のグローバル化の波が押し寄せ、生活内容が複雑化するにつれ、人々は否応無しに、国語(クメール語)算数などの基礎学力の習得を迫られようになった。
 しかし政府は過疎地の教育まで手が回らない。そこで私たちは住民が手軽に参加できる学校を作ることにした。集落内に小さな木造の校舎を建て、教材文房具を無償支給し、教師は住民から選んで養成した。また教室にはソーラーシステムによる電灯を取り付けて、夜間授業ができるようにした。真っ暗な村の中で、学校だけポツンと明かりが点り、その中で熱心な生徒たちが唱和する声があたり一面に響き渡る様子は、村の希望の灯火であった。
 ところが開校から何年か経った頃、我々のNPO内部にトラブルが発生し、組織存立の危機、対外援助不能、事務所閉鎖の事態に陥り、私はカンボジアを引き上げた。その後学校がどうなったか、確かな情報が入らず気になっていたが、昨年11月、3年ぶりに現地を訪問することができた。やはり心配していた通り、学校はすべて閉校していた。周りに雑草が生い茂る中、校舎は無事だったものの、内部は農作物用倉庫、物置き場と化していた。黒板や机椅子は壊れたり失われたりして、授業が行われている形跡はない。
 集まってきた人々の話を聞くと、私たちからの支援が途絶えてからまもなく授業は続けられなくなったという。彼らは、勉強がしたい、学校を再開して欲しいと口々に言う。それだけの熱意があるなら、どうして続けていかないのかと単純な疑問が湧くが、よく事情を聞いてみると、彼らにとって独力で学校を維持していくのは、至難の業であることが分かる。日々の生活の糧の確保に奔走している人たちにとっては、即効性の薄い基礎教育学校の維持に精力を費やしている余裕がないというのが根本にある。
 端的な例として、支援中止により教師が無報酬になり、他の収入源を求めて村を離れてしまい閉校になった集落もある。道を切り開きレールを敷いて授業を軌道に乗せたから、後は住民たちでやれるだろうとの判断が甘かったと認めざるを得ない。私たちは目標として、本当に必要としている人たちに対して、必要なものをしっかりと届けるような、きめ細かい社会貢献活動をやろうと目指したにもかかわらず、現実は我々自体の問題も絡んできて、このような事態に陥ったことに胸が痛む。
 プノンペンに帰り、現地の状況と住民たちの学校再開に対する強い希望について、元スタッフたちと話し合った。再開するためにはどうすればよいか。そのためには住民の熱意と協力をベースとして、校舎備品の修復、教材文房具の調達、教師の再養成、支援ネットワークの再構築などが必要であると確認した。ひとたび中断したものを元に戻すことは、そんなに簡単なことではないが、皆ができる範囲で協力し合えば不可能ではなさそうだ。継続は力なり。良い事は続けてやるべきだという当たり前の考えに立ち返り、この際今一度挑戦してみようと心に決めた次第である。


識字学校の授業風景 
皆熱心に勉強している

学校がある村 
少数民族(タンプーン族)の
独特の建物 高床式

ラタナキリの州都・バンロンの市場
ここに少数民族の人達が作物を
運んできて販売 買手はクメール人
(カンボジア人)